Takumi Dream Association

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経営理念 PHILOSOHY

経営理念 PHILOSOHY

弊社は、特殊な整経機と自社で改造した織機を駆使し、他ではできない大柄の先染め織物を製造することができる世界でも数少ないテキスタイルメーカーです。弊社のテキスタイルは婦人服や子供服になり、日本のみならず、フランス、イタリア、香港、中国など世界各国に輸出され、メイドインジャパンのジャパンモードとして好評を頂いています。技術力に加えて、企画提案力により磨きをかけ、ここにしか無いオリジナルの素材開発力を磨いて参ります。

生産工程 PROCESS

糸返し

糸返し
染め上がった糸を小割にする作業。
多色の柄を構成するためには欠かせない作業になります。
大変手間のかかる作業ですが、この手間を惜しまないのが匠の夢の強みです。

整経

整経
小割にした経糸を生地の柄順に並べていく作業。
写真には2台の整経台が写っており、800本の経糸を同時に構成できます。(通常の機屋は400本のもの1台)

綾通し 筬通し

綾通し 筬通し
順番に並んだ経糸を綜絖に通す作業。
写真は、4枚の綜絖に通す作業をしていますが枚数が最大20枚まであり、綜絖の枚数が多くなればなるほど、複雑な柄を表現することが出来ます。
年々技術者が減っていっているのが現状です。

ビーム

ビーム
全て経糸が通されたビームと呼ばれるもの。
織機に乗せる前の状態です。
写真は、整経されたビームと、綾通し 筬通しされた製織前の最終段階です。

製織

製織
写真手前の下に先ほどのビームが設置され、経糸を写真の奥に通して行きます。そして、横糸が横から流れてきて織られていきます。

検反

検反
織りあがった生地を検反している様子です。
綿ボコや織キズをチェックして、修正をかけて完成です。

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見附産地の歴史 History Of MITSUKE

見附産地の歴史 History Of MITSUKE

江戸時代、宝暦・明和のころ(1751~1771)見附小倉という織物が付近の需要に応じていたが、その生産量は微々たるものであった。文化元年(1804)村松藩主堀丹波守が小禄家臣の婦女子の内職に適当な仕事をと、里正金井貫左衛門に内命があって考え出されたのが綿糸の紡績であった。これが進んで製織が開始されたのが見附結城縞の起源であり文政9年(1826)のことである。明治9年節糸織の開始、同36年輸出羽二重が好調で県内屈指の羽二重産地となった。大正末期に人造絹糸が発明されるとこれを巧みに生かし、変わり撚糸を使用して人絹織物・人絹交織物などの品種のバラエティーに富んだ産地となった。第二次世界大戦中は指定生産一辺倒となり、ついには企業整備令が発動されて転廃業が続出、産地の規模は大幅に縮小された。昭和24年統制解除、絹紡服地、スフ糸を使用した黒紺サージは低価格で衣料不足時代の一般人用として最適であった。翌25年合繊糸の欠点であるシワ、チヂミを除去するため全国で初めて樹脂加工施設を組合協同事業として設置、昭和42年には国の施策である織布業構造改善事業に参画し、産地の近代化を進めるとともに翌45年には中小企業雇用管理近代化モデル集団として国の指定を受けて勤労者福祉等に取り組んできた。また、昭和58年には鉄工業協同組合との異業種技術提携により織装置開発に取り組んできた。近年は、天然繊維と合成繊維等の複合素材を用いた高度技術による高感性な商品開発に努めるなど、他産地との差別化により産地活性化に取り組んでいる。

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企業概要 COMPANY PROFILE

企業概要 COMPANY PROFILE

商号 株式会社匠の夢
代表者名 代表取締役 松尾憲久
本店所在地 新潟県見附市本所1丁目4番17号
電話番号 0258-89-7666
FAX番号 0258-89-7899
事業内容 先染織物製造業
資本金 3,000万円
設立年月日 平成23年7月14日

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